記憶を引き出し続ければ残るのである。
「記憶」と「記憶を引き出す回路」は使い続けることによって、保持されるのである。
「記憶」そのものは永久的に残るという説もある。ただ、それを引き出す回路は使われないと、その機能が弱まる(失われる)らしい。
うれしかった(強い感情を伴った)経験は記憶に残りやすいということもわかった。
(お店に注文したラーメンは、母親の作るものより、余程おいしかったようだ。)
また、顔は記憶に残るが、名前は残りにくいらしい。
これは、エピソード記憶と意味記憶の違いだという。エピソード記憶というのは、相手の姿かたちや自分の体験など、体感としてとらえる記憶、意味記憶は、名前、歴史、物語など文字で覚えるようなによる記憶のことである。
エピソード記憶は本能として備わっているもので、本能というのは、脳が本来持っている人間の生存にかかわる脳の働きで、何より優先される機能である。そのためエピソード記憶の方が残りやすい構造になっていると考えられている。
記憶は、引き出さなければ消えていく。
(引き出しにくくなっていくと考えるべきか。一度獲得した記憶は消えない、という説もある。)
思い出として残したいものは、引き出す行動が必要である。
写真を見る、思い出話をするなど。だから、写真を認識する力や、記憶の内容を言葉で表現したり、聞き取ったりする力が伴っていないと、引き出すことは難しい。
2歳だからできない、2歳半になったらできるということではなく、その子供の成長の状態による。
言葉が遅かった息子の場合は、娘が2歳半の時の域に達したのは、3歳の後半だった。
さて、引き出すことによって、楽しい記憶が残せることは明らかになったが、結局のところ、夫は子どもたちをディズニーランドには連れて行かなかった。行かなかったというより、仕事が忙しくなってなかなかその時間が作れなかったのだ。(家から近かった豊島園や西武園どまりだった。)
≪2013年6月≫
「どうしてもディズニーランドに行きたい」と夫が言い張るので、夫の誕生日に夫婦二人でディズニーランドに行く計画を立てた。そのことを娘に話すと、「お母さんたちが行くなら、ディズニーシ―の方がいいよ」と言って、切符の手配から、アトラクションやショーの選択、レストランの予約まで、何から何まであレンジしてくれて、場内案内までしてくれた。待ち時間もほとんどなく、最後の水上ショーまでの一日を堪能した。
「いつの間にか、面倒みられるようになっちゃったね」
楽しくも、感慨深い一日だった。
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