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娘が2歳になったころ、夫はディズニーランドに連れて行ってやりたいと言った。本当は、自分が行きたかったらしい。ディズニーは映像制作者の夫にとっては子どもの時からのあこがれの人。そのディズニーが考え出した夢の国ディズニーランドに行ってみたいのだが、いい歳の大人が一人で行くのは恥ずかしいので、娘をダシにして行く魂胆だ。
しかい、2歳の子がディズニーランドに行って、どれほど楽しめるのか。乗れるアトラクションもまだ数えるほどだし、こんなに小さいときに連れて行っても覚えてやしない、と言って私は夫をあきらめさせた。
だって私は、そんなに小さい時の記憶ってないわよ。
善福寺公園(かな~)に行ったときだって、覚えているのは、父にボート漕ぎを教えてもらったこと。オールが水の上をすべってしまってほとんど進まなかったってことだけだわ。その公園に行く途中のことや、母が一緒だったかかどうかとか、お弁当を食べたのかとか、何も覚えてない。小学校1年ぐらいだってこんなものよ。
この子はまだ2歳よ。ディズニーランドに連れて行っても、何も覚えていないんじゃつまらないじゃないの。
では、何歳ならいいのか。
夫を沈黙させたものの、はっきりとした答えがあるわけではない。
楽しかった経験を思い出として残せるのはどのくらいからなのだろうか。
子どもの時の記憶というものはどのくらい残るのだろうか。
また、どういう記憶なら残るのだろう。
調べることができないものか、とずっと考えていた。
そして、半年後、偶然にその方法が示された。
≪1987年10月≫
娘2歳半。鷺宮のアパートから引っ越して、私の実家に住むことになった。娘はそれまで毎日のように遊んでいた近所の友だちとお別れをしなければならなくなった。新しく住まいとなった私の実家の近所には、あいにく娘と同じ年頃の子どもがいなかった。家の前の道は、近くの幹線道路への抜け道となっていて、危なくて遊ばせることはできなかった。必然的に家の中での遊びがふえる。
1週間ほどたったころ、私がアルバムに写真を整理しているのを興味深そうに見ているので、たずねてみた。
これは誰? 「トッくんに、アキラくんに、オオノくんに、シーちゃん・・・」
かおるはどこかな? 「ここ(黄色の福)」
真ん中の子は? 「トッくんのお友だち」
こっちの写真は? 「シーちゃんとトモちゃん」
何してんの? 「お話してんの」
自転車の練習してるの? 「うん」
誰の自転車? 「アキラくんの」
貸してくれたの? 「うん、のっていいって」
アキラくんはかおるの三輪車に乗ってるね 「うん」
うしろ押してくれてるのは? 「ターちゃん。トモちゃんのオネエチャン」
そのうち、写真にないことも話し出す。
「ガレージセールやったね」 そうだね~。トッくんのおうちのガレージでね。
「ガレージセールのあと、ラーメン食べた」 そうだね、かおるいっぱい食べたね。
「おいしかったね」 みんなで食べたからね。楽しかったね。
自分の宝もの箱から、プラスチックでできたカラフルな腕輪を大事そうに持ってきて言う。
「サヨナラしたとき、ターちゃんがくれたんだよ」 かわいい色ね。
「うん、きらきらしてきれい!」
2歳半の娘は、写真を見ると友達のことをいろいろ話し出した。記憶しているということだ。そして、話をしているうちに、関連した記憶も引き出されてくる。
小さい時の記憶があまり残らないというのは、そのことについて思い出すということがないからなんじゃないの? もしそうなら、これを続けていけば、2歳の時の記憶だって残せるかもしれない。
というわけで、その後しばらくの間、毎週1回はアルバムを見て、娘に写真の説明をさせるようにしてみた。そのうち、下の子が生まれ、再び引越しをし、私も仕事を開始し、娘は保育園に行くようになった。時間がとりにくくなったということもあり、だんだん飽きてきたということもありで、週1が月1となり、アルバムを開く回数は減っていった。
小学生になると、娘は友だちづきあいやら、宿題やら、TVやらで、ますます忙しくなり、とうとう年1回の誕生日だけとなった。この日だけは、意地でもやる。「成長の過程を見る」という大義名分をもって、アルバム作戦を実施し続けた。
そして、10年がたった・・・・・・
≪10年後≫
娘は、写真を見ると、一緒に遊んだ子どもたちの名前が言えた。そしていろいろな出来事を思い出した。
「ターちゃんにキラキラした腕輪もらった」「ガレージセールの後で食べたラーメンおいしかった」
腕輪も、らーめっも写真には写っていないが覚えているのだ。うれしかった経験、おいしかった記憶、ちゃんと残っている。
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中学、高校と進むと、娘は部活動で忙しくなった。朝練に午後練、土日も練習や試合でほとんど家にいない。アルバムなど見る暇もなくなった。誕生日の祝いでのアルバム作戦もしなくなった。そうしてまた10年がたち、娘は大学生となり、部活に、アルバイトに、勉強に(?)ますます忙しい生活を送っていた。
ある日、たまたまアルバムを整理していたおりに娘が居合わせたので、久しぶりにアルバムを見せた。
「覚えている?」
「うちの前に住んでいた子だよね」 顔は覚えていた。
「引っ越しの時、腕輪もらったんだよ」 これも覚えていた。じゃあ、名前は?
「なんていったかな~」
10年の空白は、名前の記憶を失わせていた。ではラーメンはどうか?
「覚えてるよ。ガレージセールの後食べたんだよね。おいしかったなあ」
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