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今回の話は、いずれも娘が1才8~9ヵ月のころのできごとです。
子どもの行動を見ていて、人間の観察力というのは、かなり早い時期から育つ、そして観察したことから、自分で環境設計をすることも結構早くからやるのだなと感じた出来事でした。
1才児ですから、やっていることはそうたいしたことではありません。見過ごしてしまいそうなことです。でも、ただ単純に反応するだけの行動から、明らかに、周囲の人や物を観察し、自分の次の行動を考えたり、その行動にふさわしい環境づくりをするようになってきたということがわかります。特に教えたことではないので、人間の脳の学習力が生み出した行動だと感じました。
1才児ですから、やっていることはそうたいしたことではありません。見過ごしてしまいそうなことです。でも、ただ単純に反応するだけの行動から、明らかに、周囲の人や物を観察し、自分の次の行動を考えたり、その行動にふさわしい環境づくりをするようになってきたということがわかります。特に教えたことではないので、人間の脳の学習力が生み出した行動だと感じました。
≪1986年12月~1987年1月≫
■おばあちゃんが眠くなった時
ある日のこと、かおるはおばあちゃん(私の母)の膝の上に乗ってお菓子を食べていました。テレビを見ていたおばあちゃんが、やがて居眠りを始めました。
それに気づいたかおるが私に聞きます。
「オバアチャン ネムイノ?」
「そうみたいね」
すると彼女は、おばあちゃんの膝からおりて、隣りの部屋に行き、おいてあったダンボールの大箱で作った自動車をのぞきこみ、入れてあった人形をとり出しました。遊ぶのかと思って見ていると、少し抱いてからそれをおじいちゃんに渡し、ダンボールを部屋の端に寄せたのです。それから私のところへやってきて「フトン」といったのです。おばあちゃんのためにふとんを敷いてくれと言ったのです。
眠そうなおばあちゃんを見て、とっさに隣りの部屋(いつもおばあちゃんの寝る部屋です)にふとんを敷く行動イメージ(全体像)が浮び、ふとんを敷くために確保するスペースを測定し、そしてダンボールの大箱をかたづけるという行動が生まれたわけです。人形を抱いたのは、かたづけてしまわなければならないという、名残り惜しさのためだったのかもしれません。
おじいちゃんが居眠りをしたときには、おばあちゃんのときと同様の行動をとった後、おじいちゃんのところにやってきて、「オジイチャン ネンネシテ」と、敷かれたふとんのところまでおじいちゃんを連れていき、横になったおじいちゃんのそばにすわり、「ネンネーネンネー」とおじいちゃんの身体をさするところまでやっていました。行動の一まとまりも、思った以上に大きいものでした。
■まず、お菓子を移動させました
こたつの前におかれた自分の椅子に坐ってお菓子を食べていたかおる。急にお菓子の入れものを私の前に移動させました。「おかあさんにくれるの?」と聞きましたが、返事をする間もなく椅子をおりて私の膝の上にのってきました。そして再びお菓子の入れものをかかえこんで食べはじめたのです。自分だけ移動し、私に「お菓子をとって」とはせず、お菓子を先に移動させたということは、私の膝の上でお菓子を食べるために必要な行動についての、明確な全体像があったということではないでしょうか。
■鉛筆削りのとき
おじいちゃんと一緒にお絵かきをしようとしたときのことです。使いたい色鉛筆の芯が折れていました。「オジイチャン エンピヨ(エンピツのこと)ケズッテ」と頼みます。
続いておばあちゃんに「ウシサン チョーダイ」と、いつもおばあちゃんが使っている牛の形の鉛筆削りを持ってくるよう依頼、自分は削りかすを捨てるためのゴミ箱を運んできておじいちゃんのすぐ隣りにおきました。
芯が折れたときはどうするか、そしてそのためには誰に何を頼むか、どんな場を設定することが必要か、というイメージを描いたということです。
■「タータ ミズ ノンデ」
風邪をひいていた夫が、かなりひどい咳をしました。
「タータ(オトウサンのこと)、ダイジョーブ? オクスリ ノンデ」とかおる。風邪をひいていた夫が、かなりひどい咳をしました。
夫が風邪薬を口に含みますと、こんどは、
「ミズ ノンデヨ」
飲まないでいると「ミズ ノンデョッ!」とだんだん強い調子になります。夫は台所に水を飲みに行きます。かおるはついていって水を飲んだことを確認し満足の表情。そして次に、
「タータ ネンネシテネ」
薬は水で飲む、飲んだあとは布団に入って寝る、というのが彼女の風邪をひいたときの行動のイメージのようです。水を飲まないうち、布団で寝ないうちは、「これで、よし」とはならないのです。自分の持っている行動の全体像が満たされないと、子どもでも行動が完成していないと思うのでしょう。
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