150人規模の捜索隊が2日以上探し回って見つからなかった2歳児、理稀(よしき)ちゃんを短時間で探し出した尾畑さん、その判断力と行動力が賞賛されたのは、まだ記憶に新しいところである。
警察や消防などからなる捜索隊は、主として曽祖父宅より下の方を探していたのだが、尾畑さんは「子どもはどんどん上に登っていくものだ」と、迷うことなく山道を登って行き、捜索し始めてからわずか30分ばかりで理稀ちゃんをさがしだしたという。
2歳児の理稀ちゃんは、の近くの山道を、かなり上ったところで発見された。
薄暗い沢の苔むした岩の上に、こわがりもせずに座っており、理稀ちゃんの名を呼びながら探していた尾畑さんに、「おじちゃん、ボクここ」と声をかけたそうだ。
山の中でたった一人68時間を耐えた、この2歳の理稀ちゃんの体力と豪胆さにも感嘆の声が上がった。
子どもはどんどん上に登る、豪胆、暗闇をこわがらない。
この話を聞いて、そういえばうちにも似たようなことがあった、と思い出した。
① よく歩きます
《1989年10月》 耕平1才10か月、かおる4才
耕平は、保育から帰って、ちょっとすいていたおなかに食べ物を詰め込むと、
もう「オンモ、オンモ、サンポ」とわめきます。
夕食の支度中の私があまりのうるささに音を上げて、
「ちょっとだけだからね」と外に連れ出してやるまで続きます。
外へ出ると、耕平はどんどん先に立って歩き、そのあとに私とかおるが続きます。
散歩のコースは自分で選択します。
いつも同じとは限りません。何で判断しているかはよくわかりません。
あまり遠くに行きたくない私は、「耕ちゃん、今日はこっちに行ってみようよ」と、
短いコースの方へと誘導しようとしますが、
耕平は「アッチ、アッチと」と絶対ゆずらず、どんどん歩いていくのです。
散歩は1時間近くになることがあります。
2歳児というのは、結構歩くものだとだと感心します。
こうして、雨が降らない限りほとんど毎日、夕食前に“散歩”に出かけます。
これをやらないと、なかなか夜眠らなかったり、夜中に起き出して「オンモオンモ」とわめくことになります。
先日、散歩の途中で近所の方に会ってこの話をしたら、
「あ~ら、うちの犬もそうなのよ」と言われました。
② 誰とでもよく話します
《1988年8月》 耕平1才8か月
耕平は散歩の途中で出会った人、出会った人にお話をしていきます。
たまには顔なじみもいますが、殆んどが初めて会った人です。
自分がはいている長靴の話をしたり、空に出ている月の話をしたり、
声をかけてくれようものなら、座り込んで話をせんばかり。
話が長くなって、いえに入ろうとしてなかなか入れなくなってしまう方もいて、
そのたびに私は謝っていますが、皆さんニコニコして相手になってくれています。
やさしい人がいっぱいいるんだなあ、って嬉しくなります。
③ 見知らぬ土地で一人散歩
次の記録は、夏休みを取って小諸の夫の叔母の家に行ったときのこと。
耕平は、見知らぬ土地で、一人散歩を実施。
《1988年8月 耕平1才8か月》
皆で昼の支度をしていたときだったか、気がつくと耕平がいない。
私自身初めてのところだったので、様子がわからない。
その家自体が広く、また庭も広く、裏には畑もあるというような家で、行くところがいろいろある。
敷地内にいないということがわかったのがしばらくしてからだった。
外に探しに行ったものから、近所のTさんの家の庭先で発見したという連絡が来てヤレヤレ。
勝手にどんどん入り込んで、そこの家の方と話し込んで(?)いたという。
訪問者としてきちんと対応していただき、おやつまでいただいて帰ってきた。
それにしても、こんなに小さな子が、よくあんなところまでいったねえ。
初めての知らないところに平気でよく行くものだ、と大人たち感心。
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たかだか2才なのによくまあ、と私も始めはそう思っていたのだが、
いや2才だからこそなのだ、といまではそう思っている。
考えてみたら子どもは、もともとは何も知らなかったのだ。
母親のおなかの中から、それこそ右も左もわからない世界に生まれてきた。
でもわからないからといって、赤ん坊は不安にはならない。
赤ん坊が泣くのは不安や恐怖ではなくて、不快だからだ。
おなかがすいた、ねむい、おしっこが出る(出た?)、うんちが出る(出た?)、
あるいはどこかが痛い等々。
何もわからない世界の中で、見たり、さわったり、なめたりかじったりしながら、
少しずつわかってくるという生活をしている。
この頃やっと、少し周りの人間の言葉がわかるようになってきた。
要するに2才児は、わからないのがあたり前の世界で生活している。
だから怖がらない。
このくらいの小さな子には、大方の人が親切にしてくれる。
だから、今のところ耕平は怖いもの知らず。
怖さはこれから経験することになる。
親の本当の出番もこれから。
④ 暗闇だって怖くない
そういえば、かおるだってそうだった。
かおるが1才半ぐらいの頃、夜の公園で遊ぶのが好きだった。
夕食の後、散歩に出かける。
歩いて数分のところにある、小さな公園。
といっても近所の幼稚園の庭の倍ぐらいあって、1才半ぐらいの子どもにとってはかなり大きい。
昼間もよく遊びに行く公園で、砂場あり、ブランコあり、すべり台あり、ジャングルジムありの魅力いっぱいの公園で、近所の子どもたちがたくさん遊びに来る。
しかし、夜の公園には全く人はいない。
わずかな外灯があるばかりで、ほとんど暗闇と言ってよい。
そんな公園の中に、かおるはいつも、闇に向かって全く怖がらず入っていく。
少しあとからついていく親のことなど忘れているかのよう。
怖いという経験をしていないから、怖くないのだ。
「おばけ」などという怖いもののイメージなど持っていないから、怖くもなんともないのだ。
怖いものの経験やイメージが入ってくる前は、子どもは怖がらないのだ。
豪胆というより、怖さを知らないということなのだ。