2017年9月6日水曜日

13.無視されて大人になる

≪1994年6月≫


 新座に越してきてから、約2か月がたったころのこと。
 子どもたちもだんだん、この地での生活になじんできた。

毎朝、通学班8人が並んで小学校まで7~8分ほどの道のりを歩いていく。先頭が6年生、その後は年の小さい順、1年生(耕平)、2年生、3年生(かおる)、4年生2人、最後に5年生2人が続く。
 世田谷に住んでいたころの通学班は、朝登校するだけのまさに通学班だったが、こちらの通学班は放課後もよく一緒に遊ぶ、今どきでは珍しい異年齢の遊びグループだ。塾に行っている子が1人だけだったからかもしれないし、他の学区域とは交通量の多い道路を隔てて独立した区域のようになっていたからかもしれない。

遊びのリーダーは、路地をへだてたお隣の「ユウやん」5年生。登校班では2番目の年長だ。(写真では後ろから2番目)いろいろな遊びを知っていて、小さい子の面倒見がいい。塾には行っていないようで、いつもいろいろな年の子を集めて遊ぶ。最近ではあまり見かけなくなったタイプの男の子だ。引っ越してきたばかりで一番ちびの耕平も、どうやら仲間に入れてもらって遊んでいる。
 
 
 
 
6月の暑い日、耕平が家に駆け込んできて言った。「マリオのパンツある?」
マリオのパンツとは、耕平お気に入りのマリオブラザーズの柄のトランクス型の下着のことだ。最近みつけて、ファミコンゲームのマリオに熱中している耕平はきっと気に入るだろうと買ったもの。案の定、大喜びで、ズボンをはかずにパンツのままで仕事中の父親に「マリオのパンツだよ~」と見せに行ったほどである。
「おお、いいなあ。お父さんもほしいよ」などと言われてご満悦だった。それ以来、大事にはいていて、周囲の親しい人、叔母ちゃんやら年長のいとこやらに会うたびにみせびらかしていたそのパンツだ。
 
「あるよ。タンスの引き出し見てごらん」
耕平は、引出しからマリオのパンツを引っ張り出し、はき替えると再び家を飛び出していった。
どうするのかと様子を見ていると、耕平はユウやんのところに走り寄った。
そして、ズボンを少し下げてパンツを見せて、自慢そうに言った。
「これ、マリオのパンツなんだよ」
「ふ~ん」ユウやんの反応はそれだけだった。
そしてすぐ、「さあみんな○○しようぜ~」と掛け声をかけた。
 
耕平はしばらく呆然としていたが、やがて遊びの輪の中に入っていった。
 
 
 

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 小さい子どもに対して周りの大人たちは、その子のご機嫌を取りがちになる。関心を持ちそうな話をしたり、その子が話しかけてくれば、できるだけその意に添うように答えてやるといった風だ。我が家においても、少なからずそういう雰囲気があった。

ユウやんの登場は、耕平にしてみれば、カルチャーショックに近かったのではないだろうか。関心がなければ無視する、もっと言えば否定さえする人が現れたのである。耕平はこの出来事を、一体どう受け止めたのだろう。

私は、この出来事について、ついに耕平には何も聞かなかった。耕平も何も言わなかったが、この日、耕平は少しだけ大人の世界に入ったのだと思う。

 

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耕平を大人の世界に近づけてくれたユウやんは、近所の子どもたちにとって愉快なアニキだった。ユウやんの家には、近所の子がいつも出入りしており、耕平も、すっかりユウやんに傾倒していた。ユウやんと一緒だと、ただのシャボン玉遊びだって面白くなるようだった。

ユウやんが6年生になって、通学班の班長になったとき、ユウやんは通学班の集合の仕方を変更した。それまでは、ただ時間と場所を決めていただけだった。場所は我が家の前。皆揃うまで、ただバラバラと立っていた。

ユウやんは、通学班の集合を貨物列車の荷物の積み込みに見立てた。子ども一人一人の位置決めをし、順々に子どもがその場に入っていくようにした。子どもたちが、来たものから順に決められた自分の位置に並び、空いているところに後から来た子が入ってきて全員そろうと、先頭のユウやんが「出発進行!」と掛け声をかけ、車掌役のケンちゃんが「オーライ」というと、子どもたちは、列車になったつもりで行進していくのだった。
ユウやんは、学校の決まりである通学班も、愉快な遊びにしてしまったのである。
 
2年後、我が家は、道路の反対側の地区に新しく建ったマンションに引っ越し、借家生活を解消した。
ユウやんとはそれ以来会っていない。もう30歳半ば、父親になっているかもしれない。
どんな大人になっているのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

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